麻生陣屋とまちとすがた
 行方市麻生地域は、奈良時代の地誌として編さんされた『常陸国風土記』にも紹介された地域です。常世の国が現す温暖な気候から生み出される行方大地と入海の行方流海は、豊かな海の幸山の幸を育み、人々のくらしを支え水辺の文化を生み出し、地域性に富んだ歴史を刻んできました。
 平安時代末、武士が台頭するようになると常陸大掾氏の庶流となる平家幹が麻生地方に居館を構え、以後羽黒山に中心を移し戦国時代末に一族の島崎氏に滅ぼされるまで、麻生城と宿や津を拠点に勢力を張っていたのでした。
 江戸時代に入ると、まもなく麻生地域は一変します。関ヶ原の戦いで西軍に加わった藤原氏流新庄氏が麻生地方に領地を与えられ入部したのでした。元和 5 年には、麻生城の東側の低地を活かし陣屋を構えます。城下川の自然の要害を改修し箱樋池や鯉千疋川・新川そして河岸を設けました。また、北東部にあった宗之台池から陣屋周辺を囲むように堀を廻らし、重臣たちを堀の内に住まわせました。陣屋周辺や府中鹿島街道にはその他の家臣や商人職人層が軒を連ねたのでした。麻生陣屋の置かれた地域は、西は黒山のほか、慈悲山、赤坂の山、宗見台と三方を山で囲まれ、南には湖光の砂浜が開けた「鎌倉」と同じような立地環境にあり、風光明媚な歴史と文化の息づくまちがつくられたのでした。
 その後、麻生地方には麻生藩領の政治文化の中心として鹿行地方では唯一続く小さな城下町<陣屋町>として江戸時代をとおして栄えました。
  この度、『常陸国麻生御陣屋絵図』の制作発行をとおして、江戸時代の麻生藩の歴史を掘り起こし、繁栄した麻生陣屋とまちのすがたを史跡や伝承地をとおして復元するものです。


下記より、「麻生陣屋散策地図」をPDFでご覧いただけます。
麻生陣屋散策地図 PDF形式/2.1MB
 
PDFファイルの閲覧、印刷にはAcrobatReaderが必要 です。
お持ちでない方は、
こちらをクリック
してAcrobatReaderをインストール願います。
 携帯電話からも下記の情報を見ることができます。QRコードをご利用下さい。
新庄氏・麻生御陣屋並びに関係史跡のご案内
 
1.麻生陣屋跡 (C-7)
麻生藩の居館と政庁として元和5年(1619)にできた陣屋
11.田町薬師堂と地蔵堂 (A-8)
麻生氏ゆかりの薬師堂に新庄氏領下野国芳賀郡城輿寺の地蔵菩薩を勧請奉る
麻生藩主新庄氏の家老を務めた畑氏の居宅兼役所
12.田町稲荷神社 (A-8)
麻生藩主新庄氏の旧領近江の国から勧請した稲荷神社
3.海了寺 (B-5)
麻生藩主新庄氏と重臣家の善提寺で累代の位牌と墓碑が残る
13.医王山蓮城院 (D-7)
古代より大麻神社の神宮寺であった、江戸時代麻生陣屋へ移り人民心の拠となる
4.新庄直時墓所 (B-5)
麻生藩主で唯一国許に残る第4代藩主新庄直時の墓所と供養碑
14.大平山常安寺 (C-3)
中世豪族麻生氏の善提寺で江戸時代新庄氏の庇護のもと人民の拠り所となる
5.麻生藩家老三好 (B-8)
畑氏・神田氏と並ぶ麻生藩家老、幕末から明治に活躍した三好琢磨などもいる
15.参府坂 (D-6)
麻生藩主の参勤交代や家老たちの江戸参府に往来した新川河岸までの通り
6.藩校精義館跡 (C-7)
幕末・明治2年(1848)に藩主直敬が開設した藩校

16.玄通の天狗塚 (G-10)
幕末元治元年に勃発した天狗党争乱の麻生地区で処刑された党員の供養塚
7.新川河岸跡 (F-5)
麻生藩が舟運の拠点として管理した港湾と米蔵跡

17.四方堀 (B-8,D-8,B-7)
麻生陣屋と重臣たちの屋敷である堀之内を囲む東西南北の四方を囲む堀
8.八坂神社 (D-1)
麻生藩新庄氏が領内の総鎮守として祀り、天王崎の名の起こりとなった天王社
茨城百景天王崎の地にあり霞ヶ浦を望み紫嶺筑波と富士山を眺望できる
9.馬出し祭り (D-1)
八坂神社の例大祭で行われる馬と御輿が繰り出す勇壮な武家絵巻
19.まちの駅俤ステーション<土蔵屋> (地図外)
霞ヶ浦佃煮発祥の地麻生の伝統の味を守り続ける老舗でまちの駅で交流サロンを展開
10.諏訪神社跡 (E-9)
麻生新庄氏の氏神である諏訪大社を祀った場所、大正年間に八坂神社境内に遷宮
20.まちの駅俤ステーション<こじま> (E-8)
麻生地域の特産品、佃煮、四色最中麻生陣屋を取り揃えた土産専門店とまちの駅

〒311-3832 茨城県行方市麻生1221 TEL0299(72)0520 FAX0299(72)0634