霞ヶ浦沿岸の沖積地に営まれた前方後円墳で、全長85m、後円部径47m、前方部幅36.5m、後円部高さ6mの規模を有します。周囲は濠でめぐらされ、約2mの深さを有していたと考えられます。墳丘には円筒墳輪が三重にめぐらされていました。後円部の中心には、墳頂下2.7mに箱式石棺が置かれ、伸展葬の形で遺骸が埋葬されていました。副葬品としては、金銅製冠、金銅垂飾付耳飾、平縁変形四神四獣鏡等があり、ほかにも短甲、鉄鏃、そして円筒・形像(人物・動物)墳輪等の遺物も確認されています。この古墳の成立は、五世紀後半と考えられ、行方市の代表的かつ当時の古墳文化を考察する際の重要な遺跡となっています。
  三昧塚古墳の調査
 昭和30年早春、霞ヶ浦堤防工事のために三昧塚古墳の土が運びだされた。

 その時、貴重な埋蔵文化財の破壊情報を得た、当時茨城県社会教育課文化財の担当であった川上博義氏が、東京大学斎藤忠氏、明治大学後藤守一氏らに指導を仰いだ。そこで、派遣されたのが明治大学助手であった大塚初重氏であった。

三昧塚古墳

 川上氏と大塚氏は、3月27日から4月27日までの1ヶ月間、悪条件の中を調査に取り組んだ。

主体部も、2mもの深さにあったため盗掘をうけずにすみ、石棺からは馬形飾付金銅冠をはじめ、大刀、剣、玉類、鏡等の副葬品のほか、石棺脇には短甲、冑、馬具等が発見された。また、墳丘は円筒はにわが、三重にみぐり形象はにわもおかれていたことがわかったのであった。

丸玉

  三昧塚古墳の位置と規模
 行方市の北西、小美玉市境の沖積地に営まれた前方後円墳。鎌田川の河口付近で、川と霞ヶ浦が造り出した州を利用してできた標高4.8mに立地する低地型古墳の代表である。全長85m、後円部径48m、前方部幅40m、後円部高さ8m、前方部高さ6mの大きさがある。

 また、塚の周囲には深さ2mの周掘(水濠)が、めぐらされている。

三昧塚古墳 実測図

  馬形飾付金銅冠
 三昧塚古墳出土の冠は、長さ60cmで正面には蝶形金具を持ち二つ山形式で、銅版に鍍金がほどこされている。上縁部には左右4頭ずつ計8頭の馬形飾がついており、冠帯は、3段に区画され各段はまた方形の区画に分割され、花文や動物分の透かし彫りをほどこしている。
 この冠は、製作技法に未熟な点が見受けられ国産のものと考えられる。しかし、中国や朝鮮半島の金属工芸技術の大きな影響を受けたものとして、当時では最高の作品であったと考えられる。

馬形飾付金銅冠

 

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