大 麻 神 社 縁 起 と 祭 礼

大麻神社は、奈良時代に編さんされた『常陸国風土紀』に詠まれた「麻生の里」の地に創建された神社です。当地方は海の幸、山の幸に恵まれ、社の鎮座する行方市麻生字大宮の近くには大麻貝塚などの遺跡が分布しています。古代の水辺には竹のような太い麻が生い茂り、乗馬に使える野馬の産地であったことが伝えられています。
地元では「大宮様」と称される当社の創祀は、平安時代初期大同元年(806)と伝えられ、祭神は武甕槌命、経津主命、手力男命、大宮姫命、倉稲魂命、市杵島姫命、水速女命の七柱です。当時、蝦夷遠征の戦勝祈願のために征夷大将軍坂上田村麻呂が北関東に神社を寄進しており、近くには武甕槌命を祀る鹿島神宮や経津主命を祀る香取神宮が鎮座していたため、麻生の里にも武勇の神を祀ったものと考えられます。
仏教が地方へ伝播されると地域の人々の依り代である神社と結びつき神仏習合の信仰が広がりました。
麻生地方の郷社であった大麻神社の別当として神宮寺、後の東光寺(現在の医王山蓮城院)が誕生し中世まで続きました。
又、大麻神社と神宮寺は、中世当地方を支配した常陸大掾庶流麻生氏の居城である羽黒山麻生城の北東鬼門に位置し、麻生氏一族への災いを防ぐ信仰の地となっていたのでした。
江戸時代に近江国から外様の麻生藩新庄氏が入部すると、麻生地方の人々の心の拠所で郷社であった大麻神社を庇護するとともに、氏神として諏訪神社を勧請しました。また、麻生陣屋の南西裏鬼門には八坂神社を勧請して、馬の産地の特性を活かし疫病除けの馬出し祭を興し、今日まで伝統行事として受け継がれてきたのでした。
大麻神社の祭礼は、一月一日に歳旦祭が執り行われ、例大祭は戦前には四月三日の神武天皇祭として行われた時期もありました。その後、平成二年までは十月十六日に渡御の儀、十七日に本祭の儀、そして三日目の十八日に還御の儀が行われました。平成三年からは十月の第三日曜日を中心とした、土曜日、日曜日、月曜日の三日間に変更され現在に至っています。氏子となる地区は、旧麻生藩領で麻生陣屋周辺の玄通、蒲縄、下淵、田町、宿(本城)の五地区であり、この順で年番制による祭祀運営を執り行っています。
渡御の儀は、大麻神社から矛を持った猿田彦を先導に大榊、神輿の順で当番区の御仮殿に安置されます。二泊後神輿等は当番区を巡幸し夕刻には大麻神社社殿に納められます。稚児をあげる家には注連縄が張られ神輿が立ち寄り家内安全、無病息災等の祈祷が行われます。また、猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたという神話から道の神、あるいは旅の神とされ、神輿渡御の先導役を担う形式を執っているものです。
大麻神社の祭礼を盛り上げているものが、五地区より繰り出される人形を飾る佐原型の山車です。玄通は大吉備津彦命、蒲縄は菅原道真、下淵は倭武尊の父である景行天皇、田町は経津主命、そして本城が武甕槌命の姿を飾っています。山車曳きに行われるお囃子や手踊りも、江戸時代の佐原の豪商たちが勧めた「江戸優り」の祭りの影響を色濃く残しているものです。特に、五地区の若連が競う総踊りでは雅な躍動する手踊りを観ることができます。

 

□□□□□  年番組  □□□□□

 
平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年
下渕 田町 本城 玄通 蒲縄
 

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